長男である僕は、両親から祖父母から本当に可愛がられた。
祖父母にとっては初孫ということもあり、なんでも買ってくれたことを思い出す。
一番の思い出は五月人形であった。
目次
親戚の呉服店から注文して持ってきてもらった
5日5日の端午の節句に飾る人形のことであるが、親戚の呉服店から注文して持ってきてもらった。
兜や弓を持った3人の人形が床の間に置かれたのであった。
小学校に上がるまでは毎年5月に入る前くらいから父が準備していった。
五月人形が木の箱から取り出され、兜や弓が飾られると、興奮冷めやらぬ気持ちであったことはっきりしている。
1か月間くらい置かれてあったようで、その後は木の箱に収納されるはめになる。
ずっと飾ってくれ、と父に懇願するが、父は黙って収納するのであった。
母にお願いしてもだめであったわけである。
今考えると、だめであった理由が後になってわかってくることになったのでした。
そんな中、二つ下の弟が五月人形を買ってくれと両親にせがんだ。
父は兄のおさがりということで、いつものものを木の箱から取り出し、弟の目の前で見せたのであった。
しかし弟は自分のものがほしい、と泣き叫んでいた。
高い値のものであったから、弟の分を新しく購入しない気持ちも今になってはわかる。
しかし弟はそんなものはいっさい構わず、買ってくれ、と泣く日が多かった。
僕が自分のものを弟に譲るがそれでも気に入らない様子である。
祖父母は仕方なしに弟の分を買ってあげようとしたが、母が甘やかすのはだめ、と言って断った。
次の年、また次の年も、同じもので納得してくれた
そうこうするうちに、次の年、また次の年も、同じもので納得してくれたようだった。
弟は本当に人形が好きだったのか、四六時中人形を触ったり、見たりしてまったく飽きがこないのであった。
今思うと、あれだけ好きであれば買ってやるべきだと今では思う。
そんな弟にも二人の男の子がいて、一人は独立して、もう一人は大学生である。
弟に自分の子供に五月人形を買ってあげたのか、とたずねると、顔を横に振った。
どうやら時代の流れなのか、子供にはおもちゃを与えているとのこと。
本人に昔のことを話したら、懐かしそうな顔をして、今でも好きとのことだった。
あの人形は実家の居間の隅に木箱に入れて保管してあるが、子供の時以来、目にしていない。
弟は見たいものなら見たいと言っているが、毎日が位忙しく、実家に足を運ぶ余裕もないようだ。
正月に帰省したら、家族みんなで見てみようと決まったわけである。
魂が乗り移ると言われているので、今後は弟の家で保管してもらう予定である。
弟はすぐに引き受けてくれた。
だれも引き取ってくれなかったら人形がかわいそうであると感じた。
弟があれだけかわいがってもらっていたら、人形にとってもそのほうが幸せである。
ネットでも購入できるから便利な世の中になった
僕はそこまで執着がないので、そのほうがよかった。
今ではいろいろなお店に五月人形が飾ってあり、値段のピンからキリまである。
またネットでも購入できるから便利な世の中になったと実感している。
当時、祖父母が買ってくれたものは今の価格に換算すると、およそ100万円ぐらいだとのこと。
生活にそこまで余裕がなかった祖父母にとって僕へのプレゼントは孫が本当にかわいいと思ったからだ。
祖母が僕を溺愛していたのは知っている。
孫を可愛がる気持ちが人形のかたちになったのかもしれないと。
祖父母は亡くなって10年以上経つが、人形を見ると祖父母をどうしても思い出してしまう。
そんな祖父母には感謝すると同時、僕たちを育ててくれた両親にも感謝している。
家族全員が健康で幸せなのが一番である。
それ以上何も必要ないと感じている。
毎日の暮らしがほそぼそとできて、元気でいられることが最高である。
自分の子供はまだ小学生であるが、人形に関しては、自分や妻からも、また本人からも話はしない。
もし弟に孫ができたら人形を買ってあげるだろうか
子供はパソコンに夢中になっている毎日である。
ひとり部屋にこもってパソコンの画面に向かっている姿は、まさに弟が人形を見ている姿と重なってしまう。
なんでも好きなものに集中できることはいいことである。
自分も興味があるものには集中するタイプであるのだ。
子供や弟の気持ちがよくわかるのである。
好きなものを得意として才能を発揮できればいいかと感じている。
子供にはぜひ才能を開花させたい気持ちであり、それが本当の親孝行であると自負。
もし弟に孫ができたら人形を買ってあげるだろうか。
そんなことを弟には言わないが、おそらく買ってあげるのかもしれない。
あるいは祖父母から買ってもらったものを引き継いでいくのか。
僕は正直、引き継いでほしいとお願いしたいくらいだ。
代々引き継がれることで家系のきずなが強くなっていくものだから。
そうしないとあの人形の行くところがなくなり可哀そうである。
まとめ
やはり引き継いでほしいものと考えている。
そのうちに孫ができたら、そのように言ってみようかとしている。
五月人形は子供の健康と無事を祈って飾るものだから、引き継いでいけば、ますますその願いは強くなるだろう、と。
Last Updated on 2025年5月22日 by kiyo80