はじめまして、フリーコラムニストの長谷川真紀です。
以前は大手出版社で女性誌の編集をしていました。
12年間で200人以上の経営者やクリエイターにインタビューしてきたのですが、取材のたびに必ず聞く質問があります。
「子供の頃、どんなお子さんでしたか?」
この質問を投げると、それまでビジネスの話を淡々としていた経営者の表情がふっと変わるんです。
声のトーンが柔らかくなる人もいれば、急に早口になる人もいる。
そこに、その人の「本質」が出る。
今日は、私がこれまで聞いてきた女性経営者たちの「子供時代」の中から、特に印象的だったエピソードを紹介します。
2児の母でもある私自身、彼女たちの話を聞くたびに「子供時代の経験って本当に人生を左右するんだな」と痛感しています。
目次
取材で「子供時代」を聞くと、経営者の本質が見えてくる
女性経営者へのインタビューでは、事業内容や経営戦略の話がメインになりがちです。
でも、私はあえて「子供時代」の話に時間を割くようにしています。
理由は単純で、そこに経営のスタイルや判断基準の「根っこ」が見えるから。
たとえば、厳しい家庭で育った人は、独立心が異常に強い。
恵まれた環境で育った人は、リスクの取り方がまったく違う。
どちらが良い悪いではなく、その人の経営スタイルの「なぜ」が子供時代にある。
国立青少年教育振興機構の調査(令和4年度)でも、子供の頃の体験が豊富な大人ほど「やる気」や「生きがい」を持っている割合が高いという結果が出ています。
学術的にも、幼少期の体験がその後の人生に大きな影響を与えることは裏付けられているわけです。
取材してきた女性経営者の中でも、子供時代のエピソードが群を抜いて壮絶だった人がいます。
エステ業界のカリスマ、たかの友梨さんです。
たかの友梨の子供時代は群を抜いて壮絶だった
たかの友梨さん。
エステティック業界で知らない人はいない存在です。
「たかの友梨ビューティクリニック」を全国に展開し、日本のエステ文化を牽引してきた人物。
でも、彼女の子供時代を知っている人は意外と少ない。
私が初めてその話を聞いたとき、正直、言葉を失いました。
養子先を転々とした幼少期
たかの友梨さんは1948年、前橋市で生まれました。
父親は医師でしたが、母親とは正式な婚姻関係になく、父には別の家庭がありました。
親戚間のトラブルで両親は離別し、幼い友梨さんは姉と別々に養子に出されます。
最初の養子先は、養育費目当てで引き取ったような家庭だったそうです。
まともな世話も教育も受けられなかった。
3歳のとき、見かねた八千代さんという女性が友梨さんを引き取ります。
ここでようやく安定した暮らしが始まるかと思いきや、八千代さんの家庭にも波乱が待っていました。
養父が他の女性と関係を持って家を出たため、八千代さんと群馬県に移住。
八千代さんは再婚しますが、2人目の夫も駆け落ちしてしまう。
小学2年のとき、途方に暮れた八千代さんは友梨さんを親戚に預けました。
その家では11人家族への給仕をしながら暮らす日々だったといいます。
15歳の衝撃と、そこからの立ち上がり
小学6年で八千代さんと再び暮らせるようになったものの、今度は八千代さんの新しい夫から邪魔者扱いされる日々。
そして15歳のとき、ある出来事がきっかけで戸籍謄本を確認し、自分が養子だという事実を知ります。
大人への不信感が一気に噴き出し、入水自殺を図るまで追い詰められました。
遺書を書いて川に入ったものの、水の冷たさで我に返り、思いとどまった。
このエピソードを聞いたとき、取材中にもかかわらず涙をこらえるのに必死でした。
その後、友梨さんの中で何かが切り替わります。
血のつながりがなくても自分を育ててくれた八千代さんへの感謝。
そして「自分の力で生きていく」という決意。
八千代さんの口癖は「男に頼るな。腕一本で子供を育てられるよう、手に職をつけなさい」だったそうです。
この言葉が、のちにエステ業界のカリスマとなる女性の原点になりました。
中学卒業と同時に定時制高校に通いながら理容師として働き始め、睡眠時間2〜3時間の生活を送ります。
住み込みで雇われた理容店で下働きをこなし、閉店後にひたすら練習する毎日。
食事もろくに取れない日が続いたそうです。
それでも手を止めなかった。
1972年に単身フランスへ渡りエステティックを8か月間学び、翌年帰国して株式会社東京美機を設立。
美顔器「ヴィッキー」の考案・発売を皮切りに事業を拡大し、1978年に新大久保で「たかの友梨ビューティクリニック」の1号店をオープンしました。
ここから全国展開が始まり、日本のエステ業界を代表する存在へと駆け上がっていきます。
60歳で双子の親になった理由
たかの友梨さんには、子供時代の話とは別に「もうひとつの子供の話」があります。
60歳のとき、双子の赤ちゃんを養子に迎えたのです。
一般的に考えれば、60歳で乳児を育てるというのは大きな決断です。
でも、たかの友梨さん自身が養子として育ち、血縁を超えた愛情の中で人生を切り拓いてきた人。
「血のつながりがなくても親子になれる」ことを、誰よりも知っている人でした。
双子は2026年現在、17〜18歳になっている計算です。
性別や名前は公表されていませんが、たかの友梨さんが以前から児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」の後援会長を務め、子供たちの支援活動に力を入れてきたことを考えると、この決断は自然な流れだったのかもしれません。
たかの友梨の子供時代から現在に至る経歴をまとめたページを読むと、壮絶な幼少期を経て美容業界のトップに上り詰め、さらに次世代の子育てにも向き合っている姿が浮かび上がってきます。
他にもいる、「子供時代が濃い」女性経営者たち
たかの友梨さんのエピソードはとりわけ強烈ですが、他の女性経営者にも興味深い子供時代の話はたくさんあります。
ここでは私が取材や資料を通じて印象に残った3人を紹介します。
南場智子さん(DeNA創業者・代表取締役会長)
石油卸売業を営む厳格な父のもとで育った南場さん。
父の決定は絶対で、理由を聞くことすら許されない家庭だったそうです。
その環境が、逆に「なぜ?」を考え続ける合理的思考を育てました。
父に「新潟大学へ行け」と言われて反発し、上京を選んだのも彼女らしい。
マッキンゼーを経てDeNAを創業した南場さんの判断力の速さは、「理屈が通らないことへの違和感」を子供の頃からため込んできた結果なのかもしれません。
近藤麻理恵さん(片づけコンサルタント・KonMari)
5歳で主婦雑誌『ESSE』を愛読し、小学校では「整理整頓係」を自ら志願。
中学3年で片づけに開眼してからは、家中のものを片っ端から捨てまくり、ゴミ袋が45リットル×8袋。
家族のものまで勝手に処分して「捨てるマシーン」と呼ばれ、ついに近藤家で「片づけ禁止令」が出たというエピソードは、もはや伝説です。
高校2年のときに「捨てるもの」ではなく「残すもの」に注目すべきだと気づき、後の「こんまりメソッド」の原型が生まれました。
子供時代からの異常なまでの情熱が、世界的ビジネスに化けた好例です。
たかの友梨さんとは真逆の「恵まれた環境」で育ちながら、その中で自分の道を極めたタイプ。
逆境だけが経営者を作るわけではない、という証拠でもあります。
吉田晴乃さん(BTジャパン元社長・経団連初の女性役員)
2019年に亡くなられた吉田晴乃さんは、2017年にフォーチュン誌「World’s Greatest Leaders 50」に日本人で唯一選出された方です。
母親は旧満州で幼少期を過ごし、戦争体験から「平凡でも皆がいつも一緒にいられる幸せな家庭」を願った人。
その母の想いとは裏腹に、吉田さん自身は大学卒業と同時に原因不明の難病で生死をさまよい、のちに国際結婚・離婚を経てシングルマザーに。
「平凡な幸せ」を願う母の背中を見て育ちながら、自分はまったく平凡ではない道を歩んだ。
それでも母から受け取った「人を大切にする」という価値観は、経営者としてのリーダーシップの土台になっていたと言われています。
彼女たちの子供時代に共通すること
4人の女性経営者の子供時代を並べてみると、面白い共通点が浮かんできます。
| 経営者 | 子供時代の特徴 | 現在の事業 |
|---|---|---|
| たかの友梨 | 養子先を転々、15歳で入水未遂を乗り越えた | エステティック業界のカリスマ |
| 南場智子 | 厳格な父への反発から合理的思考が育った | IT業界でDeNAを創業 |
| 近藤麻理恵 | 5歳から片づけに没頭、禁止令が出るほど | 世界的な片づけメソッドを確立 |
| 吉田晴乃 | 母の戦争体験と「平凡な幸せ」への願い | 経団連初の女性役員に |
共通点をまとめると、3つのパターンに集約されます。
- 逆境をバネにしたタイプ(たかの友梨さん、吉田晴乃さん)
- 幼少期からの没頭がそのまま仕事になったタイプ(近藤麻理恵さん)
- 環境への反発が独自の思考を育てたタイプ(南場智子さん)
どのパターンにも当てはまるのは、子供時代に「強烈な原体験」があったこと。
それが順境であれ逆境であれ、心に深く刻まれた経験が、大人になってからの行動力やブレない軸につながっています。
東京商工リサーチの2024年女性社長調査によると、全国の女性社長は約64万9,000人で、女性社長率は初めて15%を超えました。
2010年の約21万人から14年間で3倍に増えている計算です。
女性経営者がこれだけ増えている今、「子供時代にどんな経験をしたか」に注目して彼女たちの話を聞くと、経営の表面的な成功譚だけでは見えない「人間としての厚み」が見えてきます。
まとめ
女性経営者のインタビューで「子供時代」を聞くのは、私にとって取材の儀式みたいなものです。
華やかなキャリアの裏に必ずある、泥臭くて生々しい原体験。
そこにこそ、その人がなぜ今の仕事をしているのかの答えがある。
特にたかの友梨さんの話は、何度振り返っても胸に刺さります。
養子先を転々とし、15歳で死を選びかけた少女が、養母の「手に職をつけなさい」という言葉を胸に、日本のエステ業界を代表する存在になった。
そして60歳で、自分がかつてそうだったように、養子として子供を迎え入れた。
子供時代の経験は、良くも悪くもその人の人生に深く刻まれます。
だからこそ面白いし、だからこそ聞く価値がある。
この記事を読んで「あの経営者の子供時代って、どんなだったんだろう」と気になった方がいたら、ぜひ調べてみてください。
きっと、その人の見方が少し変わるはずです。
Last Updated on 2026年7月1日 by kiyo80









